桐山純哉に恋をした

 

御茶ノ水ロック -THE LIVE STAGE-の感想です。

 

おちゃろく、ドラマ未視聴なので間違ったことを言ってるかもしれませんがご了承ください。

 

書いてる時の情緒が不安定なので文体がハチャメチャですのでそれもご了承ください。

 

人に読んでもらうためというより自分の思いを吐き出すために書いてます。

 

はい。

 

 

桐山純哉がかっこよすぎた……

 

当方、中の人のファンなので贔屓目アリアリですが、それにしても桐山純哉かっこよすぎましたね……圧倒的カリスマ感……

 

DYDとDICが好きな人からするとほんと最悪な人なのかもしれないけど、わたしは彼が好きです

 

桐山純哉はただ亮さんとバンドがやりたかっただけなんですよね

 

ただ隣でギター弾いてて欲しかっただけ

 

たったそれだけでDICやDYDを潰そうとするのはやりすぎでしょ、とも思うんだけど、それ以外の方法を知らないんだろうなあ

 

亮さんの大切なものを潰したら嫌われるとかっていう思考がなくて、自分のもとに戻ってきてくれるって思っちゃう独裁者っぷり、さいこ〜では。

 

とにかく桐山純哉は自分の思い通りにコトを進めるためには手段は厭わないし、どんな手段でも実行に移すだけの大きな力を持ってしまっていた。

 

(おおきいじむしょのちからってこわいなあとおもった)(闇)

 

小さい子供が大きい力を手に入れたときもこんな感じなのかなあとも思った

 

それで、大きい力を自分が持ってるってことを自覚していて、その力を最大限に発揮させるためには絶対に亮さんが必要で、ほかの人では駄目で

 

ただ孤独で寂しかっただけなんだよね

 

THE CROWみてみたかったなあ

 

 

あと桐山純哉は音楽が大好きなんですよ。

 

最高の音楽を作りたいと思ってるの

 

そんな桐山純哉の歌、まじやべかった

 

わたしは正直、荒木さんの歌を特別上手いと思ったことはないんですけど、桐山純哉の歌は最高でした

 

いやほんと何度も言ってるけど圧倒的カリスマ感

 

まず桐山純哉の見た目の話なんですけど、髪ははちみつ色でふわふわしてて、時々白い光に照らされると透けてキラキラと輝くのね、

 

で、目は奥二重なんだけどきゅるきゅるしたまるい純粋な瞳なんですよね

 

でも、歌ってる時は変わるんですよ。

 

瞳が。

やわらかさとは対照的でもう真っ直ぐを向いてるの、強い意志を持って。

 

桐山純哉は何を考えて、何を見てこんな熱い目をして歌ってるんだろうか

 

そりゃ惹き込まれますわ……

 

ほんとにすっごく眩しくてくらくらしてしまった

 

まあとにかく、桐山純哉はかっこよくてかわいくてカリスマでした

 

 

ここからは桐山純哉の話というより推しの話になります

 

たぶん推しの価値観的に桐山純哉のやったことは許されないことだったんですよね。

人を潰すっていうの、まあ普通に考えて駄目なことじゃないですか。

それで、そういう嫌なことをする役を演じるの、めちゃめちゃストレスを感じるタイプで、とても大変だったと思うんです。

でもわたしは桐山純哉を好きになれた。

桐山純哉は嫌な奴ではあるけど、ただ嫌な奴で終わらなくて愛される存在にしてくれた。

それは推しさんの力なんだよね。いや演出家さんの力でもあるんだけど。そういうことが言いたいんじゃなくて。

たとえば桐山純哉を別の人が演じたとして、カリスマ役なのに歌う場面で全然カリスマ性を感じ取ることができなかったら、ただの嫌な役になっちゃうと思うんですよ。

でもちゃんとカリスマで、スーパースターを演じきってくれたの。

推しさんの力じゃん。

(いや、それなりに実力が認められてて経験値ある俳優さんに対して、ひよっこオタクのわたしが上から目線ですごいすごい言うの何様やねんて感じやけど)(不快にさせてしまったらごめんなさい)

あと推しさんも桐山純哉のことを好きになってくれてるんだと感じることができて嬉しい。

推しさんが大事に作った役をわたしも好きになれて良かった。

 

あと余談ですが歌ってる時の桐山純哉、本当に眩しくて、遠くて手の届かないところに行っちゃったと思って訳分からんくなって泣いたんですよね。そんでカテコでちゃんと荒木さんとして立ってて良かったちゃんと戻ってきたーつって安心して泣いた。

 

まほろばでまた逢おう

死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

吉田松陰

 

もののふシリーズ最終章 舞台「駆けはやぶさ ひと大和」観てきました。

この作品が発表された時、大好きなもののふシリーズが帰ってくる嬉しさとそれが終わってしまう寂しさの2つの気持ちがありました。そして観劇の日が近づくにつれて、だんだんと怖くなりました。きっと素敵な作品であると信じていましたが、それでももののふ達の物語がすべて終わってしまうというのがとても怖かったです。大千秋楽を終えて、「最終章」にふさわしい素晴らしい作品でしたが、だからこそ、今、とても寂しいです。もう、あの時代を駆け抜けたもののふを舞台上で観ることは叶わない。

 

もののふシリーズ、すごく良い作品でした。わたしは日本史に明るくないので理解するのに時間がかかる場面も多々ありました。でも、これは歴史物である以前に人間の物語でした。誰かが誰かに憧れたり、同じ志しを持つ人と何かを成し遂げようとしたり、それでぶつかったりする、熱い日本人の物語でした。

 

『憧れ』、この作品の至る所で見受けられた感情です。貞吉は悌次郎に、悌次郎は貞吉に、白虎は新選組に、斎藤一は白虎または土方に、、、と、誰もが誰かに憧れているし、誰もが誰かの「憧れの背中」でもありました。

憧れてたその背中に手を伸ばして描いた夢 空の蒼さは激しさと切なさと希望 笑いあった時間があるから惹かれあった想いがあるから強く強くまた巡り会うように

 逢いたいからその背中を追いかけて志す想い 遥か高くへ憧れと切なさと希望 信じあった仲間がいるから守り抜いた絆があるからいつか届くように名前を呼んで  

『憧れの背中』

 

そして、1番多くの憧れを背負ったのが近藤さんと土方さんなんじゃないかと思います。前2作では近藤さんは登場せず、土方さんは完璧な存在として登場していました。近藤さんは、そんな強くて完璧な土方さんが慕っている最強の存在です。

かけ隼の近藤さんは、力強くて豪快で愛嬌のある人でした。近藤さんを演じたのが的場浩司さんで良かったなあと思います。すごく明るくて強くて優しくて、そりゃあみんなに好かれるだろうと思いました。まさに新選組隊士たちの「おとのさま」的存在でした。

また、新選組以外にも憧れられる人物でした。近藤さんは、勝海舟と親友だと言います。おそらく以前は同じ志を持っていたのでしょう。しかし、勝先生は戊辰戦争では敵となります。勝先生は、幕臣である以前に日本人だと言っていました。お互いに日本のことを考えた結果敵対し、それでも親友であることは変わらないというこの2人の関係がわたしは大好きです。また、近藤さんは勝先生に、土方は親友でも兄弟でもなく「夢」だと伝えます。そして、土方さんを撃とうとする伊藤博文に「こいつを撃ったら絶対に許さん」と言い、土方の死を食い止めます。近藤さんの死に場所は用意した勝先生は、近藤さんの「夢」である土方さんの死だけは必死に止めるのです。近藤さんの「夢」を終わらせないために。

 

もふ虎、つむ鴨、かけ隼と、三作品すべてをひっくるめて土方歳三の物語が完成されたのかな、と思います。それほどに、土方さんはもののふシリーズにおいて要となる人物でした。わたしは荒木さんのオタクなので、どうしても土方さんを贔屓して見てしまうからかもしれないけれど。前2作では土方さんは完璧な人物だと言いました。しかし、かけ隼の土方さんは人間味に溢れていました。もふ虎とつむ鴨では、怒鳴ることはあれど大きく表情を崩すことは一切ありませんでした。しかし、かけ隼の、新選組にいる土方さん、近藤さんの隣にいる土方さんは違いました。顔をくしゃくしゃにして笑うし、くしゃくしゃにして泣いていました。本当に、近藤さんのことが、近藤さんが作った新選組が大好きだったのだと思います。

つむ鴨の土方さんの台詞に「生きるために、笑ってみろ」というものがあります。そしてかけ隼では近藤さんが何度も「笑え」と言っていました。土方さんは近藤さんの志を引き継いで、笑うことを隊士に命じていたんだと気付きました。

土方さんは鬼の副長でした。平隊士の面倒を見て愛情が湧いてきたという沖田に、愛情なんて余計なものだと吐き捨てていました。しかしそれは徐々に変わっていきました。近藤さんを失い、隊士たちを次々と失ううちに、自分の新選組への愛情に気付いたのだと思います。自分は己の誠を成し遂げるためなら死んでも良いけど、新選組の隊士たちには誠を捨ててでも生きていて欲しい。だから斎藤さんに「生きろ」と命じるし、五稜郭の戦いも1人で臨もうとしました。それは叶わなかったけれど。新選組の隊士たちにも誠の心はあり、みんなで誠を背負い、大和に向かったのです。最後の戦いに臨むとき、土方さんは「新選組"副長"」と名乗ります。そのこころの中には局長近藤勇が生きていたのだと思います。五稜郭で土方さんは死んでしまいますが、その土方さんの志も中島登をはじめ、新選組隊士、榎本武揚斎藤一の心の中で生きていくのだと思いました。

 

書きながら涙が止まらないのでこの辺で一旦締めたいと思います。花村くんの演技が良かったとか沖田の殺陣が綺麗だったとか斎藤一がシャブいだとか榎本さんの顔が良いって話もしたいのですが、またエントリーを分けてハイテンションでゆっくりと書きたいです。

最後に、これは作品本編とは関係ないのですが、カテコで的場さんが出る時、荒木さんが的場さんをすごい幸せそうな笑顔で見つめながら舞台のセンターまで見届けるの最高でした。あれは土方さんとして近藤さんを見てるのか、荒木さんとして的場さんを見てるのかどっちなんだろう。

 

死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

それが、マホロバよ!

 

舞台に通う意味 推しを追う理由

 OFFICE SHIKA PRODUCE VOL.M「不届者」が幕を閉じた。タイトル通りの、不届き者たちの物語だった。テーマや構成自体はよくあるものではあるけれど、観た人の心に刺さる良い舞台であったように思う。このエントリーはきっと読みにくいと思うので、おすすめの記事を挙げておきます。

aooaao.hatenablog.com

(ブルーさんの書く文章が好きです。)

 

物語全体についての感想

 舞台は松岡充さんが一人で語るところから始まる。松岡さんが主演ということで、舞台鑑賞に慣れていないお客さんに注意事項とかを述べるのかなあと思ったけど違った。「これ、全部台本に書かれたセリフなんです。役者って怖いですよねえ。台本に書かれてさえいればすぐに嘘を吐ける。本人が本当にそう思っているように見えても全部お芝居なんですよ。」確かこんな感じのことを言い、物語は始まった。作中でも、主人公である梅本やそのライバルの秋広は、保険屋の角田が描く台本の通りに自らの復讐劇を進めていく。それが本来の自分の姿であるかのように。さすがは松岡さんという感じで、語りも歌もすごく惹きつけられた。(なんたって顔が良いからな。)

 「不届き」とは、一般に「行き届かないこと。道または法律にそむく行いをすること(広辞苑)」を言う。たしかにこの舞台は、人のあるべき道を外し法を犯す人たちの物語だった。しかしまた、大切な“何か”に届かずして死んだ「不届き者」の物語でもあった。上演台本に書かれていた本作の意図は、「なぜ人を殺してはいけないのか?現代において当たり前に定められている規範について、正しく明確に理解する者はいない。だからこそ誰もが規範を破り不届き者になる可能性がある」というものである。その規範に疑問を持たず、当たり前に現代社会を生きる私たちも、ふとした拍子に不届きを犯してしまうかもしれないのだ。本作で登場する不届き者は、軽薄で、愚かで、残虐である。しかし、あまりにも人間くさい。そんな人間が何人も登場し、死んでいく。穢れのない人は存在しない。仮に存在したとしても、私たちはそれを「無機質」だとか「ロボットのよう」だと表現するだろう。汚いからこそ「人間」であるのかなと、そう思った。

 台本を読んで、台詞が書き換えられている箇所を見つけた。最後の晩餐で、梅本が語るところ。台本では『俺、生まれ変わったら、人の幸せのために生きるって決めてんの。』 と書かれているが、舞台では『不幸を取り除くために生きる』と言っていた。この変更が意味するところ、それは「幸せ」にこだわる必要はないということを示しているのだと思う。今の世の中はハッピーになる方法を求めている。しかし、ハッピーでなければならないのか。幸せか不幸かの二択しかないのか。もちろんそんなことはなく、幸せでなくとも不幸でなければそれで十分なのではないだろうか。

 

登場人物(キャスト)についての感想

松岡充:梅本/新之助(吉宗)

 松岡さん、顔が良すぎた。そんな松岡さんの歌う歌は切実で迫力があった。梅本が役に呑まれていく様が、観ていてすごくドキドキしたし怖かった。特に星を殺した後に荒木さん演じる影山と笑い合う姿はなんとも不気味だった。わたしは影山を通して梅本を見ていたので、梅本については下で書きます。彼は“幸せに届かなかった者”だと考えました。

池田純矢:秋広/宗春

 こちらもまた顔が良い。池田さんの演技は初めて観たけれど、すごいな。なんでもできるんだな。秋広は純粋だと思った。親に捨てられ、愛する人も殺された彼は、“愛に届かなかった者”、かな。 

小沢道成:次雄/頼職

 1回目に観た時、女の人が演じていると思っていた。あとでパンフレットを読んでびっくりしました。確かによく見たら腕の筋肉すごかった。美しかった。

丸尾丸一郎:角田/家継

 丸尾さん、大千秋楽のカテコ挨拶で「どうしてこうなっちゃうんだろう」って涙を流してらっしゃって、いや、これ作ったんあんたやないかーいって思いました。この人は本当に人間を愛しているんだろうなあ。

 角田の台詞で、「保険屋を演じる役者です。」というものがあって、すぐに「嘘です。」と否定するんだけどどっちなんだろうか。もし演じていて、彼も復讐劇の主人公なのだとしたら復讐相手は人間全体なのだと思った。実際の丸尾さんと正反対の人間として作られたのかな。

荒木宏文:影山/左太夫

 先に言います。長いです。

 まずビジュアルですが、台本には「水商売風の男」と表現されていますが、あんな風貌の男は今どきのビジュアル系バンドマンにもなかなかいないでしょ。どうしてそうなった。

 役について。影山(左太夫)はどうしようもなく情けない、愚かで、惨めで、哀れな男だと思う。彼には主体性が感じられなかった。終始彼は友人を助ける相棒であった。しかしわたしは彼を愛おしいとさえ感じる。
 影山を見て、『死に至る病』を思い出した。キルケゴールは、「死に至らない病が希望に繋がる事に対して死に至る病は絶望である、また絶望とは自己の喪失である」と述べている。影山は周囲の人間から度々「死んだ魚の目をしている」と評されていた。しかしわたしの見た影山、つまり梅本と出会った後の影山の目は、わたしには死んだ魚の目には見えなかった。きっと梅本に出会う前は本当に絶望しかなく、死んでいたのであろう。しかし、梅本に出会って彼は過去の希望を持っていたときを思い出した。そしてまた、彼は梅本に対して希望を見るようになったのだ。ただ、これは本当の希望ではなかった。なぜなら、彼は希望を持つ梅本に自分の希望を譲渡してしまっているからである。これこそ自己の喪失である。影山は自分に対する希望など持っていなかった。ずっと最初から死に至る病に侵されていたのである。
 影山は歌がうまく才能のある梅本に憧れた。左太夫は藩主の息子である新之助(吉宗)に夢を見た。しかし、そんな梅本/新之助も「自分は何者にもなれないのか」と嘆き、結局不届き者に成り果て身を滅ぼした。なんて救われない世界なのだろうか。梅本に希望を託し汚れ役を買って出たのに、その梅本は右半身不随、希望なんかあるはずがない。それでも影山は梅本に付いていこうとする。自分一人では動けないから。梅本に執着するしかないから。なぜこんなにも影山は梅本に拘るのか、そんなに魅力がある人間なのかと不思議だった。しかし、影山が梅本に付いていくのは梅本が魅力的だからではなかった。梅本を否定してしまうと、それを信じてついて行っていた自分を否定することになるからだ。彼はどこまでも自分を守ることしか考えていなかった。

 (影山が梅本に執着している、と散々書いたが、梅本もまた影山に依存していた。梅本が行動を起こすときにはいつも影山がそばにいるし、ピンチになったときにはいつも影山の名を呼んでいた。物語の最後に、梅本を中心として死んだ者たちが一列に並び楽しそうに食事をする「最後の晩餐」のシーンがある。ここで影山は梅本の左隣にいる。これは原画においてはヨハネ(またはマグダラのマリア)と言われていて、中心にいるキリストの最も信頼していた人物と言われている。このふたりが再会しなければ誰も不届き者にならずに済んだのかもしれない)
 聖子に「ありがとう」と言って死んだ影山を見ると、やはりわたしは彼を愛したいと思う。彼は梅本に協力しただけで、何の悪意もなかったのだ。浅はかで愚鈍が故に全てが狂ってしまった。その結果を謝ってもそれを受け止める人はどこにもいない。初めて自分のしたことを自分の責任として背負い死んでいった。
 わたしは彼に自分を重ねているのだと思う。夢も希望もあるのか分からない舞台俳優に自分の希望を託している。もちろん彼はわたしにとって魅力的に見えている。しかし例えその人がどんな人であろうとも、明るい未来などないと分かっても、わたしは彼を応援する。彼に付いて行っていた自分自身を否定しないために。梅本に協力し振り回されている見えて自分を守るために生きた影山のように、わたしも自分のために彼に心酔したフリをする。そして自分を否定しないために自分と似て愚かな影山を肯定してしまうのかもしれない。

夢って、やっぱ必要なんすよ。(省略)もう三十こえた俺が言うのも恥ずかしいけど、幾つになっても、どんなに可能性が低くても、夢を目指すべきなんです。

 これを三十過ぎた舞台俳優に言わせるの、なかなかになかなかですよね。聞いていて苦しくなった。

 だから、“影山は夢に届かなかった者”であるのかな。

 

 以上が『不届者』を見て考えたことでした。わたしはこれからも、現実世界に疲れたら舞台の上にある虚構の世界を見て元気をもらうし、夢を持っている人を応援したいと思う。

 

推しの炎上から考えたこと

 

お久しぶりです。前回の記事を上げてからブログへのアクセスが4000view増えました。それまで総計で3000とかだったのに。愚痴垢さん効果すげえ。

 

わたしはというと、結局炎上前に取った10月の舞台のチケットは手放さずにいます。でも11月の舞台のチケットは取っていません。もともと取る気だったんですが、予定がうまくあわないので……今までだと無理やり予定こじ開けてたので、やっぱりそれほどの気力はなくなったのかなあという感じです。完全には諦めてないのでもしかしたら行くかもですが。

 

 

それで、炎上(ボヤ騒ぎ?)から約2ヶ月半、冷静になったり感情的になったりしながら色々なことを考えました。推し(Aさん)のことをよく知らなくても、推し事をされている人には読んでほしいなあと思って記事を書きます。(結局わたしはAさんを許してしまっているので、Aさんの炎上が許せない方には不快な気持ちにさせてしまうかもしれませんがご了承ください。)

 

クズバレの何がつらかったのか。

 

裏切られたという気持ちももちろんありました。でも、それは勝手にこっちが夢を見てしまっていただけなのでこっちにも責任があるのかなと思います。俳優の仕事は夢を見させるのではなく芝居をすることだと思ってるので、中の人間の性格にまで口出しするのはね、間違ってます(建前)でも夢を見させようと振る舞ったのはやはり俳優側なので責任取ってほしい(本音)クズバレが許せるか許せないか、俳優の仕事を芝居と捉えているかSNS等の営業も含めて捉えているかが関係するのだと思いました。

推しが実際にクズかどうかって、どうでもいいんですよ。シュレディンガーの猫と同じで、推しがクズかどうかは、箱を開けない限りは分からないのです。つまり、クズバレするまでは、推しがクズかそうでないかはフィフティーフィフティーの状態だということ。その50/50の状態のままであって欲しかった。なんで炎上にこんなにショックを受けたかって、50/50であることを忘れていたからだと考えています。クズであるという可能性が50%あったのに、それを考えないようにしていました。これはわたしのミスです。これからは忘れないようにします。

また今回の炎上では、箱を開けたのがAさん本人であるということが最も残念な点だと思っています。文春に撮られるとかの方が何倍もマシだと。(推しが文春にやられた方ごめんなさい) あとは炎上後の対応ですが、あんなに下手くそな対応をする人はなかなかいないですよね。Aさん、馬鹿すぎる。

 

 

しかし、いちばんつらかったことはそのことではありませんでした。

いちばんつらかったこと、それは推しが叩かれていることです。炎上してすぐは、もっと燃えろと思っていました。炎上のこと何も知らない茶の間がのんきにツイートしてるのを見てイライラしたりもしました。でも、Aさんのお芝居している姿を見て、もういっか、と思えました。炎上があっても、Aさんは変わらず素敵な演技を見せてくれたのです。Aさんがクズだとしても、Aさんの芝居はかっこいいのです。Aさんがクズだとしても、今までわたしがAさんを見て幸せを感じていたという過去は変えられません。Aさんがいたおかげで人生楽しいと思えていたことは、紛れもない事実として存在するのです。だからわたしはAさんに感謝してます。今まで楽しませてくれてありがとうございましたと。そうやってわたしは炎上を克服しようとしました。

それなのに、某掲示板やTwitterでは悪口が絶えない。つらすぎます。面白がって叩いている方は置いといて、クズバレを受けてファンからアンチに転向したという方がどれほどいるのか気になります。クズに騙されて喜んでいた自分が許せないという感じなのでしょうか…。その考えはわたしにはないので……。(自分の今までの行動を正当化したいから防衛機制が働いて推しを許そうとしているのかな、とは思いますが。)ブログやインタビューやアフタートークのことは言われても演技が下手とは(わたしが見る限りでは)言われていないのだけが救いです。実際に推しの演技が上手いのか、叩く方は推しの演技をあまり見たことがないのかは分かりませんが……。でも、だからこそ、演技以外のことばかりをずっと悪く言われるのが悲しいです。人間的にちょっと破綻していることも言葉選びが下手なことも空気が読めないことも認めます(認めます)。でも舞台上の役者としてのAさんはサイコーです。そこ、大事だと思います。

 

話が脱線しまくってますね。最初に冷静になったり感情的になったりして考えたと書きましたが、冷静になれていないのかもしれません。盲目信者は自分がそうであることに気付かないですから。

以上がわたしが炎上を受けて考えたことです。今まで自分の感情を残すためにブログを書いていたので、人に読んでもらうための文章は難しいです。読みにくくてすみません。

 

最後にひとつだけ。Aさんの顔が生理的に無理でなければ、舞台、見に来てください。最初は炎上の件がチラつくと思いますが、最後には忘れられていることを祈ります。

 

 

 

炎上直後の推しの舞台を観た話

 

 

炎上直後、もしくは炎上中?の推しの舞台を観に行きました。そう、ゴーストのやつです。

 

検索避けのために推しの名前は伏せますが、若手俳優のグループを読んでる方はきっと分かると思います。先日も炎上について言及している記事がありましたし。

 

炎上の詳細は省きます。某掲示板の個人スレをみるとよく分かります。

例の女性とどういう関係かも、例のRTやブログをどういう意図で為されているのかも真偽は分からないので深く考えるのはやめました。ソロイベでの彼の言葉(女性と付き合うの無理めんどくさいみたいなことを喋ってた)を信じるとするならば正式に付き合っている彼女ではない(つまりセフレ)かなと思いますが。炎上があった以上ソロイベでの発言を信用するのも馬鹿らしいですが一応推しなのでね。許してね。

ほんと、ソロイベは何もかも100点満点で一生ついて行こうって思ったのになあ。

 

……愚痴は長くなるのでやめます。

 

それで、観に行ってきました。

観る前、モチベは最悪で、チケット売ろうか迷っていました。でもせっかく取ったし、最後に彼の演技を観てから担降りするか決めようと思って観に行きました。

 

劇場に着いて、ソロイベのグッズを身に付けている方が多くて驚きました。みんな炎上のこと知らないんだろうか。知ってて尚推してるんだろうか。とか色々考えました。推しのオタクはおばさまも多くいるので、あまりネットを見ずにまっすぐに表向きの推しだけを見て応援しているのかな、と思います。それはとても幸せなことだろうけど、わたしには真似できないですね。

 

 

幕が上がります。

 

最初の登場シーンで、彼、腰振ってるんですよ。私の頭の中にはやはりあの女がよぎります。下ネタっぽいのほんとにやめてくれ。無理だわ。

 

で、物語が進んでいきます。

 

いや、めっちゃ良い役なんですよ。実質主人公だった。そして殺陣、めっちゃかっこいい。髪の毛さらさらだし。やばい。めっちゃかっこいい。ラストシーン、悲痛な声がすごくつらくて。めっちゃかっこいい。

 

はい。そうなんですよ。

かっこいいと思ってしまった。

表情も、声の出し方も、仕草も。

やっぱり彼の演技が好きだなぁと思ってしまった。

飛び抜けて顔がいいわけでも、演技がうまいわけでもないのに、好きだと思ってしまった。

それが悔しくて、でもなんだか嬉しくて、少し泣いてしまいました。

 

これからわたしは彼を推し続けるのか、まだ分かりません。でも、内面は置いといて、彼の演技を嫌いになるまでは彼の出演する舞台を観にいきたいと思っています。次の舞台のチケットももう取ってしまっているので、手放そうかと思っていたけどやめておくことにします。

 

ブログやTwitterのフォローは外したけどね。笑

ファンクラブは抜けないかな。

 

 

 

ここまでで900字〜めっちゃ削りました。

 

以下、舞台の感想です。

 

内容については多くの方が述べてらっしゃるので詳しくは言いませんが、なんか、話の構成が雑だなあと思いました。前半くそつまんなくて、でも後半は推しがかっこよかったので楽しかったです。ギャグは面白くなかったり面白かったりでした。

 

良かった、楽しかった部分だけを言うと、

 

味方さん、初めて演技を観ました。好きです。味方さんのファンの方のブログが大好きで、なので味方さんもすっごい素敵な方なんだろうな〜と思ってたのですが、ほんとに素敵な方だった。滑舌いいな!推しにわけてほしいです。それと、「あなたの、あなたの、あなたの味方!」笑いました。軽率にわたしも味方さんの味方になりたいと思ってしまった。味方さんの捨て紙?を拾えて、推しのと交換探すか迷いましたが、今回の味方さん素敵だったので記念に取っておくことにしました。

 

ズクダンズンブングンゲーム

 

田中さん、なんだかんだテニミュやら青春鉄道やらでお見かけしていますが、股下97cmもあるんですね。蹴りが美しかったです。あと、声が好きです。

 

三浦くん、最後のキャスト紹介のときのハイキック?飛び蹴り?がめちゃくちゃ美しくてびっくりしました。

 

荒木さん、霊媒師のほうの役、びっくりしました。普通に笑った。桃仙、めちゃくちゃ好きです。悪役かっこいい。とても幼くてまっすぐな感情を表現するのがうまいんですよね。客降りのとき荒木さんは舞台上にいるんたけど例の紙を何枚かまとめて投げたらバラバラにならずに固まって飛んでいっちゃって、やばい!って顔してみんなで分けてねってジャスチャーしながら言っててかわいかったです。

 

ふろむえぐざいる!からの、ふろむでぃーぼーいず!

 

高橋さん、顔がかっこいい。

 

以上です。

 

 

推しか今まで隠してたけど、もうバラしてしまったのでこれからは露骨に宣伝していこうかな。

 

それでは、みなさま、良きオタクライフをお過ごしください。

 

バランス理論から考える同担拒否について

 

 ただ同担拒否はしんどいという話。

 

先日、大学の社会心理学の授業でバランス理論というものを習いました。その理論をオタク心理にあてはめるとしんどいなあと思ったのでまとめてみました。わりと当たり前のことを言っています。

 

人間はどんなことでもバランスの取れた均衡状態を好みます。それは対人関係にもあてはまって、不均衡な状態に陥るとそれを解消しバランスの取れた状態へ持っていこうします。それがバランス理論です。

そのバランスの取れた状態について説明しますね。
まず、自分・他者・対象がいます。それで下の図のように、自分から対象、他者から対象、自分から他者に矢印が向いていて、好きなら+、嫌いなら-です。

f:id:kbrghmn:20170630103504p:plain

そうしたら記号が3つ存在しますよね。その掛け算が+になれば均衡状態、-になれば不均衡状態というわけです。
例えば自分と友人が同じ人を嫌いな場合、-が2つで+が1つなので全体だと+で均衡状態です。矢印3つとも+ならもちろん全体も+です。不均衡の状態というのは-が1つ、または3つの場合です。

それで、対象を推し、他者を同担に置き換えて考えてみました。同担拒否の人のバランスはこのようになっています。

f:id:kbrghmn:20170630104210p:plain

+が2つ、-が1つなので全体では-、不均衡状態です。つまり同担拒否している状態というのは自分にとって負担になっているということです。当たり前ですね。

 

それで、この不均衡状態をなんとかして均衡状態へ戻そうという働きかけが必要になります。このとき同担拒否は変えられないものとします。そうすると、均衡状態へするには2通りしかありません。1つ目は同担が担降りするように働きかけること、2つ目は自分が担降りすることです。そうすると、+が1つ、-が2つで均衡状態へなります。

 

しかし、そんなにうまく均衡状態になるわけはありません。

まず同担が担降りすることについてですが、もし担降りされたとしましょう、ふざけんな、ってなりませんか。私はなります。だって、あんなに素敵な推しなのになんで降りられなきゃいけないの!?ばかなの!?ってなるので。ドチャクソわがままなのは承知しております。

次に自分が担降りすることについてです。正直、これが一番可能性があると思います。今はそんなこと考えられないけど、いつかは、降りる時が来るのかな、と。

 

悲しくなってきたのでまとめます。

人は、対人関係において不均衡な状態へ陥ったとき、なんとかして均衡状態へ戻そうという働きが生じます。そして同担拒否の人は同担と推しとの間で不均衡を抱えています。そして、それを解決するには自分が担降りするしかありません。

なので、同担拒否の人は拗らせすぎると自分のこころを守るために推すのをやめてしまうのかなあ、と思います。そして同担とも仲良くしてハッピーな人のほうが長続きしやすいのかな、と思いました。やっぱり推し推し続けるためには自分の精神衛生にも気を遣わなければなりませんね。

 

長々と回りくどくなったけど、同担拒否しんどい、という話でした。おわり。

 

 

20170403

 

わたしは自分の意見を持たない子供だった。

幼稚園の頃の将来の夢は図書館司書だった。なぜなら母親が図書館司書は良い職業だって言っていたから。でも幼稚園の年長さんの時、将来の夢を絵に描いてみましょうって言われて困ったことがあった。図書館司書なんて何をする人か知らないのに絵に表せるわけないからだ。だからわたしは隣の子がケーキ屋さんの絵を描いてるのを見て、真似して描いて、「将来の夢はケーキ屋さんです」って言った。
小学生の頃の夢は公務員。これも母親が公務員はいいぞって言っていたから。そしてまた困ったことがあった。卒業文集に載せるから将来の夢について作文を書きなさいっていう良くあるやつ。ここでもわたしは公務員が何をする人かも知らなくて、なんか安定した職業だってことは母が言っていたけれど、安定した職業の意味がそもそも分からなかった。わたしの周りはキラキラした夢を持っている子が多くて、希望に満ちた文を書いていた。それが求められている文章なんだなって思った。だからわたしの卒業文集には「将来の夢はパティシエです」って書かれている。

小学生の時に流行ったドラマに、花より男子野ブタをプロデュース・ごくせんなどがある。そのどれもにはイケメンと呼ばれる俳優が複数人いて、クラスでは誰が1番好きかなんて話題で盛り上がった。でもわたしには分からなかった。誰がイケメンなのかが。だから多数派の意見に従っていた。すなわち、亀梨と赤西の顔が見分けられない状態で「亀梨かっこいい」と言っていた。それが正解だと分かったから。当時のわたしにとって正解とはみんなと同じってことだった。そして、それが正解だと分かったら、本当に亀梨の方が格好良く見えた。

間違えることが何よりも嫌いだった。今もだけど。正解を示してほしい。そうすれば、何も迷うことなく進んでいけるのに。


閑話休題

 

どの人をイケメンだと思うか、好きだと感じるかって主観でしかない。正解なんてない。そう気付いたのはいつだったか。いや、知っていたけどそれでも正解を求めていたのか。
わたしは今、好きな俳優がいる。周りにその俳優を好きな人はいないし、なんなら名前を言っても誰それ?となると思う。ちゃんと、自分の意思で、その人をかっこいいと思い、応援したいと思った。これは昔なら考えられなかったことだ。進歩。

好きな人のことを好きだって堂々と言えるってとても幸せなことだと思う。そしてそれを手紙で、イベントで、伝えることもできる。
わたしは臆病でプライドばっかり高くて、誰かを好きになってもなかなか好きだって言えなかった。でも今は違う。好きだって周りの人に言いたい、彼に直接伝えたい、叫びたい。わたしは貴方のおかげで幸せだよ。


------------
っていうまだ書き途中のメモ。久しぶりに推しの舞台を観に行ったら面白くなさすぎて悲しくなったのでメモを最後まで完成させる気力がなくなりました。貴方のおかげで幸せ?違う。貴方のせいで憂鬱です。次は面白いストレートの舞台に出てくださいお願いします。