20230125
こんにちは。27歳です。
同棲中の彼氏のモラハラが原因で家にいても心が休まらず、姉の家に居候しながら現在休職中の身です。
人生、むずかしいですね。
天王寺にあるショッピングモールのレストランフロアで、おじいさんがデカい声で「悩んでいる間に老いぼれてしまう」と歌っていて、やめてくれよと思いました。
(今調べたら森進一の襟裳岬でした)
暇だし、誕生日だし、とりあえず文章を書こう、と思い立って書き始めたものの何も思いつかないね。
人生ってなんだ、幸せってなんだ、と考える。
家に女連れ込んでセックスされようが、話しかけるだけで舌打ちされようが、どうたってわたしは今の彼氏が大好きで、いまは全然幸せじゃないけど、彼氏と別れることのほうが圧倒的に不幸なんだよな。
必ずしもハッピーである必要はない、と大学時代に精神医学を教えてくれた先生に言われたけれど、ハッピーでない状態に甘んじて、不幸を垂れ流しながらだらだらと生きるのが良いわけではないと思う、少なくともわたしの人生は。
とはいえよお、わたしがどうこうできる問題じゃないんだわ、なあ?
彼氏を薬漬けにして浮気する元気とか怒りのエネルギーとかを奪って、大人しくなった彼氏の看病をして過ごしたい。
もちろん、彼氏と別れても時間が経てば他の人と恋愛してその人にゾッコンになれる可能性がある、ということは理解しているわけだけれども。
少なくとも"今""現在"のわたしにとっては彼氏が世界でいちばん大好きな男であって。
困ったな〜てかんじです。
困ってる理由として、周りの友達がしっかりと人生を進めている、というのもある。
結婚した子、副職で成功して投資なんかもしっかりしてる子、推しに全振りの子、とかとか。
新社会人時代はわたしのほうが結婚に近いと思ってたのになーというよくある劣等感を抱いてしまってそんな自分もダサいなーみたいな。
先が見えない状態で立ち止まることしかできないのがつらい。
「好きって絶望だよね」
ブログ名の由来にもなってるだいすきな小説*1の一説、この言葉がすべてなんだよな。
ブログを始めた大学時代も今もなんも変わっとらん。
誕生日が終わらないうちに投稿したいのでこのへんで。また数年後にお会いしましょう。
追記:
前回記事(2019年)が今の彼氏の惚気語ってて死にました。
20190624
いやめっちゃ久しぶりやな。
20180420
桐山純哉に恋をした
御茶ノ水ロック -THE LIVE STAGE-の感想です。
おちゃろく、ドラマ未視聴なので間違ったことを言ってるかもしれませんがご了承ください。
書いてる時の情緒が不安定なので文体がハチャメチャですのでそれもご了承ください。
人に読んでもらうためというより自分の思いを吐き出すために書いてます。
はい。
桐山純哉がかっこよすぎた……
当方、中の人のファンなので贔屓目アリアリですが、それにしても桐山純哉かっこよすぎましたね……圧倒的カリスマ感……
DYDとDICが好きな人からするとほんと最悪な人なのかもしれないけど、わたしは彼が好きです
桐山純哉はただ亮さんとバンドがやりたかっただけなんですよね
ただ隣でギター弾いてて欲しかっただけ
たったそれだけでDICやDYDを潰そうとするのはやりすぎでしょ、とも思うんだけど、それ以外の方法を知らないんだろうなあ
亮さんの大切なものを潰したら嫌われるとかっていう思考がなくて、自分のもとに戻ってきてくれるって思っちゃう独裁者っぷり、さいこ〜では。
とにかく桐山純哉は自分の思い通りにコトを進めるためには手段は厭わないし、どんな手段でも実行に移すだけの大きな力を持ってしまっていた。
(おおきいじむしょのちからってこわいなあとおもった)(闇)
小さい子供が大きい力を手に入れたときもこんな感じなのかなあとも思った
それで、大きい力を自分が持ってるってことを自覚していて、その力を最大限に発揮させるためには絶対に亮さんが必要で、ほかの人では駄目で
ただ孤独で寂しかっただけなんだよね
THE CROWみてみたかったなあ
あと桐山純哉は音楽が大好きなんですよ。
最高の音楽を作りたいと思ってるの
そんな桐山純哉の歌、まじやべかった
わたしは正直、荒木さんの歌を特別上手いと思ったことはないんですけど、桐山純哉の歌は最高でした
いやほんと何度も言ってるけど圧倒的カリスマ感
まず桐山純哉の見た目の話なんですけど、髪ははちみつ色でふわふわしてて、時々白い光に照らされると透けてキラキラと輝くのね、
で、目は奥二重なんだけどきゅるきゅるしたまるい純粋な瞳なんですよね
でも、歌ってる時は変わるんですよ。
瞳が。
やわらかさとは対照的でもう真っ直ぐを向いてるの、強い意志を持って。
桐山純哉は何を考えて、何を見てこんな熱い目をして歌ってるんだろうか
そりゃ惹き込まれますわ……
ほんとにすっごく眩しくてくらくらしてしまった
まあとにかく、桐山純哉はかっこよくてかわいくてカリスマでした
ここからは桐山純哉の話というより推しの話になります
たぶん推しの価値観的に桐山純哉のやったことは許されないことだったんですよね。
人を潰すっていうの、まあ普通に考えて駄目なことじゃないですか。
それで、そういう嫌なことをする役を演じるの、めちゃめちゃストレスを感じるタイプで、とても大変だったと思うんです。
でもわたしは桐山純哉を好きになれた。
桐山純哉は嫌な奴ではあるけど、ただ嫌な奴で終わらなくて愛される存在にしてくれた。
それは推しさんの力なんだよね。いや演出家さんの力でもあるんだけど。そういうことが言いたいんじゃなくて。
たとえば桐山純哉を別の人が演じたとして、カリスマ役なのに歌う場面で全然カリスマ性を感じ取ることができなかったら、ただの嫌な役になっちゃうと思うんですよ。
でもちゃんとカリスマで、スーパースターを演じきってくれたの。
推しさんの力じゃん。
(いや、それなりに実力が認められてて経験値ある俳優さんに対して、ひよっこオタクのわたしが上から目線ですごいすごい言うの何様やねんて感じやけど)(不快にさせてしまったらごめんなさい)
あと推しさんも桐山純哉のことを好きになってくれてるんだと感じることができて嬉しい。
推しさんが大事に作った役をわたしも好きになれて良かった。
あと余談ですが歌ってる時の桐山純哉、本当に眩しくて、遠くて手の届かないところに行っちゃったと思って訳分からんくなって泣いたんですよね。そんでカテコでちゃんと荒木さんとして立ってて良かったちゃんと戻ってきたーつって安心して泣いた。
まほろばでまた逢おう
死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
もののふシリーズ最終章 舞台「駆けはやぶさ ひと大和」観てきました。
この作品が発表された時、大好きなもののふシリーズが帰ってくる嬉しさとそれが終わってしまう寂しさの2つの気持ちがありました。そして観劇の日が近づくにつれて、だんだんと怖くなりました。きっと素敵な作品であると信じていましたが、それでももののふ達の物語がすべて終わってしまうというのがとても怖かったです。大千秋楽を終えて、「最終章」にふさわしい素晴らしい作品でしたが、だからこそ、今、とても寂しいです。もう、あの時代を駆け抜けたもののふを舞台上で観ることは叶わない。
もののふシリーズ、すごく良い作品でした。わたしは日本史に明るくないので理解するのに時間がかかる場面も多々ありました。でも、これは歴史物である以前に人間の物語でした。誰かが誰かに憧れたり、同じ志しを持つ人と何かを成し遂げようとしたり、それでぶつかったりする、熱い日本人の物語でした。
『憧れ』、この作品の至る所で見受けられた感情です。貞吉は悌次郎に、悌次郎は貞吉に、白虎は新選組に、斎藤一は白虎または土方に、、、と、誰もが誰かに憧れているし、誰もが誰かの「憧れの背中」でもありました。
憧れてたその背中に手を伸ばして描いた夢 空の蒼さは激しさと切なさと希望 笑いあった時間があるから惹かれあった想いがあるから強く強くまた巡り会うように逢いたいからその背中を追いかけて志す想い 遥か高くへ憧れと切なさと希望 信じあった仲間がいるから守り抜いた絆があるからいつか届くように名前を呼んで
『憧れの背中』
そして、1番多くの憧れを背負ったのが近藤さんと土方さんなんじゃないかと思います。前2作では近藤さんは登場せず、土方さんは完璧な存在として登場していました。近藤さんは、そんな強くて完璧な土方さんが慕っている最強の存在です。
かけ隼の近藤さんは、力強くて豪快で愛嬌のある人でした。近藤さんを演じたのが的場浩司さんで良かったなあと思います。すごく明るくて強くて優しくて、そりゃあみんなに好かれるだろうと思いました。まさに新選組隊士たちの「おとのさま」的存在でした。
また、新選組以外にも憧れられる人物でした。近藤さんは、勝海舟と親友だと言います。おそらく以前は同じ志を持っていたのでしょう。しかし、勝先生は戊辰戦争では敵となります。勝先生は、幕臣である以前に日本人だと言っていました。お互いに日本のことを考えた結果敵対し、それでも親友であることは変わらないというこの2人の関係がわたしは大好きです。また、近藤さんは勝先生に、土方は親友でも兄弟でもなく「夢」だと伝えます。そして、土方さんを撃とうとする伊藤博文に「こいつを撃ったら絶対に許さん」と言い、土方の死を食い止めます。近藤さんの死に場所は用意した勝先生は、近藤さんの「夢」である土方さんの死だけは必死に止めるのです。近藤さんの「夢」を終わらせないために。
もふ虎、つむ鴨、かけ隼と、三作品すべてをひっくるめて土方歳三の物語が完成されたのかな、と思います。それほどに、土方さんはもののふシリーズにおいて要となる人物でした。わたしは荒木さんのオタクなので、どうしても土方さんを贔屓して見てしまうからかもしれないけれど。前2作では土方さんは完璧な人物だと言いました。しかし、かけ隼の土方さんは人間味に溢れていました。もふ虎とつむ鴨では、怒鳴ることはあれど大きく表情を崩すことは一切ありませんでした。しかし、かけ隼の、新選組にいる土方さん、近藤さんの隣にいる土方さんは違いました。顔をくしゃくしゃにして笑うし、くしゃくしゃにして泣いていました。本当に、近藤さんのことが、近藤さんが作った新選組が大好きだったのだと思います。
つむ鴨の土方さんの台詞に「生きるために、笑ってみろ」というものがあります。そしてかけ隼では近藤さんが何度も「笑え」と言っていました。土方さんは近藤さんの志を引き継いで、笑うことを隊士に命じていたんだと気付きました。
土方さんは鬼の副長でした。平隊士の面倒を見て愛情が湧いてきたという沖田に、愛情なんて余計なものだと吐き捨てていました。しかしそれは徐々に変わっていきました。近藤さんを失い、隊士たちを次々と失ううちに、自分の新選組への愛情に気付いたのだと思います。自分は己の誠を成し遂げるためなら死んでも良いけど、新選組の隊士たちには誠を捨ててでも生きていて欲しい。だから斎藤さんに「生きろ」と命じるし、五稜郭の戦いも1人で臨もうとしました。それは叶わなかったけれど。新選組の隊士たちにも誠の心はあり、みんなで誠を背負い、大和に向かったのです。最後の戦いに臨むとき、土方さんは「新選組"副長"」と名乗ります。そのこころの中には局長近藤勇が生きていたのだと思います。五稜郭で土方さんは死んでしまいますが、その土方さんの志も中島登をはじめ、新選組隊士、榎本武揚、斎藤一の心の中で生きていくのだと思いました。
書きながら涙が止まらないのでこの辺で一旦締めたいと思います。花村くんの演技が良かったとか沖田の殺陣が綺麗だったとか斎藤一がシャブいだとか榎本さんの顔が良いって話もしたいのですが、またエントリーを分けてハイテンションでゆっくりと書きたいです。
最後に、これは作品本編とは関係ないのですが、カテコで的場さんが出る時、荒木さんが的場さんをすごい幸せそうな笑顔で見つめながら舞台のセンターまで見届けるの最高でした。あれは土方さんとして近藤さんを見てるのか、荒木さんとして的場さんを見てるのかどっちなんだろう。
死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
それが、マホロバよ!
20171231
今年ももう終わる。
「この1年はどんな年でしたか?」なんて、有名人にならない限り聞かれることはないんだろうけど、もし聞かれるならば「出会いの年」って答えると思う。
大学で新しくゼミに入って先生やゼミ生に出会ったり、バイト先に来るお客さんとたわいない会話をしたり、美容院に通うようになって美容師さんと仲良くなったり、はてなブログのグループに参加して少しだけだけどTwitterでおしゃべりさせて貰ったり。ただただ人に恵まれてた。そりゃあ嫌な気持ちになることもたくさんあったけど、でも思い返すとみんな大好きだなーってところに落ち着く。みんな自分の人生を生きてて、そこに少しだけわたしの居場所も用意してくれてて存在を許してくれる。みーんな大好き。
人だけじゃなくて、色んな感情にも出会った。1人の俳優さんを好きになって、「モノクロだった世界が色付く」みたいな表現があるけれどそれって本当なんだなって分かった。人生たのしー!って思えた。いつの間にかぜんぶが知りたくなって、色々調べて、ネットの情報に惑わされたりもした。人生かなしー!死にてー!って思う時もあった。でも、わたしってこんなにも何かを好きになることができたんだって、こんなにも他人のことで喜怒哀楽できたんだって驚いた。このブログのタイトルの元ネタにもなってる桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」という本に、「好きって絶望だよね。」という台詞がある。何も混ざっていない研ぎ澄まされた「好き」っていう感情は、凶器にもなるし絶望をも引き連れてくるのかなと思う。まだそこまで純度の高い感情を持ったことはないけれど、ほんの少しだけ分かったような気がした。今は全然綺麗な感情じゃなくて、これ以上のめり込んでいいのか、離れるべきなのか、今の中途半端なままでいるべきなのかも分かんなくて。来年は就活なのに、自分の事じゃなくて他人のことばかり考えてる。うーーーん。どーしよ?まあなるようになるよね。なるようにしかならない。とりあえず、「趣味:観劇」はずっと続くと思う。好きな役者がいなくても、目の前に広がる非日常の世界はぜったいにわたしを元気にさせてくれるから。それに、この趣味を持って得られた感情や人との繋がりは、わたしにはいっとう大切なものに感じられるから。だいじにしていきたいなあ。
最後のほう少し話が逸れてしまった。2017年、実はもっと汚い感情とかたくさんあったんだけど、書かない。書かなかったらきっと来年読み返したときには忘れてるし、なかったことにできるから。綺麗な思い出として仕舞っておきたい、たいせつな2017年でした。おわり。
20171204
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久しぶりの更新です。もう12月か…。
舞台「関数ドミノ」を観た感想を書きたいと言い続けてたのですが、最後まで書ききる気力もなく下書きにあります。いつか上げたいなあ。
あと、「Jの総て」を読みました。中村明日美子さんの絵柄も世界観も大好きです。ほろほろ泣いた。
こちらのサイトで12月8日まで無料で読めるので是非。
この記事ではJの総ての宣伝がしたかっただけなので、もう目的は達成されました。
ここから書くことはただの日記です。駄文です。この先を読むよりJの総てを読む方が確実に有益です。よろしくお願いします。
憂鬱です(唐突)
卒論の研究内容を決めなきゃいけないのに、なかなかうまくいきません。まわりは結構決まってるから余計焦る。
それと最近はまわりがインターンに行き始めてて、真剣に自己分析とかもしてて、なんだかなあという気持ち。だからといって自分もインターンに行こうという気にはなれないし。
わたしはまわりの環境には恵まれてて、友人も良い子たちばかりです。なんだけどそれがストレスになってる。劣等感。罪悪感。偽って接しているつもりはないし、わたしはわたしのやりたいように自由に喋って動いてるのに、なんか周りの評価と自分が釣り合ってない気がして悲しい。悲しいというか、怖い?わたしはそんな高尚な人間じゃねーし面白くねーしただの気持ち悪いオタクで厨二病でクズなんだぜって叫びたい。いっそ幻滅してくれ。
〈外〉があるから〈内〉があるように、〈他者〉が存在しないと〈自己〉なんてものは存在できないのだみたいなことを書いている本があった気がする。自分っていうのは他者とか環境にかこまれて存在している。〈わたし〉という人物は、他者の見る〈わたし〉として世界に在るのであって、わたしの見る〈わたし〉は、わたしのなかでしか生きてないんだなって。でもわたしの世界においては、わたしの知る〈わたし〉しか存在してないわけで。他者から見たわたしとの差異が大きすぎると、しんどい。とか考えながらジョハリの窓を思い出したけど、ちょっと違うよね。わたしは他者が思っている〈わたし〉を受け入れることはできない。だって、そんなん自分じゃないもん。
なんか意味のわからない文章で申し訳ない(ここまで読んでる人いないか。)
とりあえず、生きてて申し訳ないなって思うことが多いので、反省文の提出先を指定して欲しいです。提出できたらきっと少しは楽になれるのになあ。