20180420

 

就職解禁から1ヶ月と20日が経過。
 
今の状況は、内定0社、次最終面接が2社、その他選考中7社、説明会参加前3社くらい。
 
なんだけど、ここ2週間弱やる気がでなくて5社も説明会やら選考やらをドタキャンしてしまった。どんどん持ち駒が減っていく。
 
なんでやる気が無くなったかというと最終面接まで持ち込めてしまったから。最終で落とされる可能性も十二分にあるし、通ったとしてももっともっといい企業を探して就活は続けるべきなのに。なんか安心しちゃって急にモチベが死んでしまった。たぶん内々定出ちゃったら就活やめます。1番最初に内定くれたところに就職しそう。
 
わたしは特にココに行きたい!って企業はなくて、それなりにお給料もらえてオタクしやすいところがいいなあ、って感じで就活をやってます。
 
だから今なんでこんなに憂鬱なのかは分からない。分からないけど、たぶん周りと比べちゃってるからなんだと思う。
わたしの大学はそこそこネームバリューあるから、周りはみんな大手メーカーとかメガバンクとかに就職する人が多いんですよね。でもわたしは大手はほとんど受けてなくて。それはわたしの就活に対するモチベーションがもともと低かったから仕方ないんですけど。(だってES40社出してES通過するのが20社でそこから面接重ねて内定出るのが2,3社って無理すぎん?まぢむり。)
そう、もともとの心構えが違うのに比較して落ち込む必要はないの分かってるんですけどね。周り頑張ってるのに自分は全然頑張ってないなあと思って悲しくなってしまった。
 
あとは希望がない。特にココに行きたい!ってのがないからモチベは常に底辺だし、ほんとにこんな就活の仕方でいいのかな?この企業でいいのかな?っていう不安が常にある。
 
とりあえず不安。将来が決まらない不安もあるし、決まったとしても不安。不安しかない。
 
GABAチョコとアマニ油で生きてる。
 
ちなみに志望業界はITです。SEになろうかな〜とか思ってる。手に職付けたら勝ちかなと思って。あとITは未経験OKなところが多いし最近はホワイトを売りにしてるところが多いので。フレックスタイム制活用したい。
 
就活終わったらオタクの就活についてのエントリ書きたい
 
とりあえず来週の最終面接は頑張りたい
 
落とされたら人生が終わるよ

桐山純哉に恋をした

 

御茶ノ水ロック -THE LIVE STAGE-の感想です。

 

おちゃろく、ドラマ未視聴なので間違ったことを言ってるかもしれませんがご了承ください。

 

書いてる時の情緒が不安定なので文体がハチャメチャですのでそれもご了承ください。

 

人に読んでもらうためというより自分の思いを吐き出すために書いてます。

 

はい。

 

 

桐山純哉がかっこよすぎた……

 

当方、中の人のファンなので贔屓目アリアリですが、それにしても桐山純哉かっこよすぎましたね……圧倒的カリスマ感……

 

DYDとDICが好きな人からするとほんと最悪な人なのかもしれないけど、わたしは彼が好きです

 

桐山純哉はただ亮さんとバンドがやりたかっただけなんですよね

 

ただ隣でギター弾いてて欲しかっただけ

 

たったそれだけでDICやDYDを潰そうとするのはやりすぎでしょ、とも思うんだけど、それ以外の方法を知らないんだろうなあ

 

亮さんの大切なものを潰したら嫌われるとかっていう思考がなくて、自分のもとに戻ってきてくれるって思っちゃう独裁者っぷり、さいこ〜では。

 

とにかく桐山純哉は自分の思い通りにコトを進めるためには手段は厭わないし、どんな手段でも実行に移すだけの大きな力を持ってしまっていた。

 

(おおきいじむしょのちからってこわいなあとおもった)(闇)

 

小さい子供が大きい力を手に入れたときもこんな感じなのかなあとも思った

 

それで、大きい力を自分が持ってるってことを自覚していて、その力を最大限に発揮させるためには絶対に亮さんが必要で、ほかの人では駄目で

 

ただ孤独で寂しかっただけなんだよね

 

THE CROWみてみたかったなあ

 

 

あと桐山純哉は音楽が大好きなんですよ。

 

最高の音楽を作りたいと思ってるの

 

そんな桐山純哉の歌、まじやべかった

 

わたしは正直、荒木さんの歌を特別上手いと思ったことはないんですけど、桐山純哉の歌は最高でした

 

いやほんと何度も言ってるけど圧倒的カリスマ感

 

まず桐山純哉の見た目の話なんですけど、髪ははちみつ色でふわふわしてて、時々白い光に照らされると透けてキラキラと輝くのね、

 

で、目は奥二重なんだけどきゅるきゅるしたまるい純粋な瞳なんですよね

 

でも、歌ってる時は変わるんですよ。

 

瞳が。

やわらかさとは対照的でもう真っ直ぐを向いてるの、強い意志を持って。

 

桐山純哉は何を考えて、何を見てこんな熱い目をして歌ってるんだろうか

 

そりゃ惹き込まれますわ……

 

ほんとにすっごく眩しくてくらくらしてしまった

 

まあとにかく、桐山純哉はかっこよくてかわいくてカリスマでした

 

 

ここからは桐山純哉の話というより推しの話になります

 

たぶん推しの価値観的に桐山純哉のやったことは許されないことだったんですよね。

人を潰すっていうの、まあ普通に考えて駄目なことじゃないですか。

それで、そういう嫌なことをする役を演じるの、めちゃめちゃストレスを感じるタイプで、とても大変だったと思うんです。

でもわたしは桐山純哉を好きになれた。

桐山純哉は嫌な奴ではあるけど、ただ嫌な奴で終わらなくて愛される存在にしてくれた。

それは推しさんの力なんだよね。いや演出家さんの力でもあるんだけど。そういうことが言いたいんじゃなくて。

たとえば桐山純哉を別の人が演じたとして、カリスマ役なのに歌う場面で全然カリスマ性を感じ取ることができなかったら、ただの嫌な役になっちゃうと思うんですよ。

でもちゃんとカリスマで、スーパースターを演じきってくれたの。

推しさんの力じゃん。

(いや、それなりに実力が認められてて経験値ある俳優さんに対して、ひよっこオタクのわたしが上から目線ですごいすごい言うの何様やねんて感じやけど)(不快にさせてしまったらごめんなさい)

あと推しさんも桐山純哉のことを好きになってくれてるんだと感じることができて嬉しい。

推しさんが大事に作った役をわたしも好きになれて良かった。

 

あと余談ですが歌ってる時の桐山純哉、本当に眩しくて、遠くて手の届かないところに行っちゃったと思って訳分からんくなって泣いたんですよね。そんでカテコでちゃんと荒木さんとして立ってて良かったちゃんと戻ってきたーつって安心して泣いた。

 

まほろばでまた逢おう

死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

吉田松陰

 

もののふシリーズ最終章 舞台「駆けはやぶさ ひと大和」観てきました。

この作品が発表された時、大好きなもののふシリーズが帰ってくる嬉しさとそれが終わってしまう寂しさの2つの気持ちがありました。そして観劇の日が近づくにつれて、だんだんと怖くなりました。きっと素敵な作品であると信じていましたが、それでももののふ達の物語がすべて終わってしまうというのがとても怖かったです。大千秋楽を終えて、「最終章」にふさわしい素晴らしい作品でしたが、だからこそ、今、とても寂しいです。もう、あの時代を駆け抜けたもののふを舞台上で観ることは叶わない。

 

もののふシリーズ、すごく良い作品でした。わたしは日本史に明るくないので理解するのに時間がかかる場面も多々ありました。でも、これは歴史物である以前に人間の物語でした。誰かが誰かに憧れたり、同じ志しを持つ人と何かを成し遂げようとしたり、それでぶつかったりする、熱い日本人の物語でした。

 

『憧れ』、この作品の至る所で見受けられた感情です。貞吉は悌次郎に、悌次郎は貞吉に、白虎は新選組に、斎藤一は白虎または土方に、、、と、誰もが誰かに憧れているし、誰もが誰かの「憧れの背中」でもありました。

憧れてたその背中に手を伸ばして描いた夢 空の蒼さは激しさと切なさと希望 笑いあった時間があるから惹かれあった想いがあるから強く強くまた巡り会うように

 逢いたいからその背中を追いかけて志す想い 遥か高くへ憧れと切なさと希望 信じあった仲間がいるから守り抜いた絆があるからいつか届くように名前を呼んで  

『憧れの背中』

 

そして、1番多くの憧れを背負ったのが近藤さんと土方さんなんじゃないかと思います。前2作では近藤さんは登場せず、土方さんは完璧な存在として登場していました。近藤さんは、そんな強くて完璧な土方さんが慕っている最強の存在です。

かけ隼の近藤さんは、力強くて豪快で愛嬌のある人でした。近藤さんを演じたのが的場浩司さんで良かったなあと思います。すごく明るくて強くて優しくて、そりゃあみんなに好かれるだろうと思いました。まさに新選組隊士たちの「おとのさま」的存在でした。

また、新選組以外にも憧れられる人物でした。近藤さんは、勝海舟と親友だと言います。おそらく以前は同じ志を持っていたのでしょう。しかし、勝先生は戊辰戦争では敵となります。勝先生は、幕臣である以前に日本人だと言っていました。お互いに日本のことを考えた結果敵対し、それでも親友であることは変わらないというこの2人の関係がわたしは大好きです。また、近藤さんは勝先生に、土方は親友でも兄弟でもなく「夢」だと伝えます。そして、土方さんを撃とうとする伊藤博文に「こいつを撃ったら絶対に許さん」と言い、土方の死を食い止めます。近藤さんの死に場所は用意した勝先生は、近藤さんの「夢」である土方さんの死だけは必死に止めるのです。近藤さんの「夢」を終わらせないために。

 

もふ虎、つむ鴨、かけ隼と、三作品すべてをひっくるめて土方歳三の物語が完成されたのかな、と思います。それほどに、土方さんはもののふシリーズにおいて要となる人物でした。わたしは荒木さんのオタクなので、どうしても土方さんを贔屓して見てしまうからかもしれないけれど。前2作では土方さんは完璧な人物だと言いました。しかし、かけ隼の土方さんは人間味に溢れていました。もふ虎とつむ鴨では、怒鳴ることはあれど大きく表情を崩すことは一切ありませんでした。しかし、かけ隼の、新選組にいる土方さん、近藤さんの隣にいる土方さんは違いました。顔をくしゃくしゃにして笑うし、くしゃくしゃにして泣いていました。本当に、近藤さんのことが、近藤さんが作った新選組が大好きだったのだと思います。

つむ鴨の土方さんの台詞に「生きるために、笑ってみろ」というものがあります。そしてかけ隼では近藤さんが何度も「笑え」と言っていました。土方さんは近藤さんの志を引き継いで、笑うことを隊士に命じていたんだと気付きました。

土方さんは鬼の副長でした。平隊士の面倒を見て愛情が湧いてきたという沖田に、愛情なんて余計なものだと吐き捨てていました。しかしそれは徐々に変わっていきました。近藤さんを失い、隊士たちを次々と失ううちに、自分の新選組への愛情に気付いたのだと思います。自分は己の誠を成し遂げるためなら死んでも良いけど、新選組の隊士たちには誠を捨ててでも生きていて欲しい。だから斎藤さんに「生きろ」と命じるし、五稜郭の戦いも1人で臨もうとしました。それは叶わなかったけれど。新選組の隊士たちにも誠の心はあり、みんなで誠を背負い、大和に向かったのです。最後の戦いに臨むとき、土方さんは「新選組"副長"」と名乗ります。そのこころの中には局長近藤勇が生きていたのだと思います。五稜郭で土方さんは死んでしまいますが、その土方さんの志も中島登をはじめ、新選組隊士、榎本武揚斎藤一の心の中で生きていくのだと思いました。

 

書きながら涙が止まらないのでこの辺で一旦締めたいと思います。花村くんの演技が良かったとか沖田の殺陣が綺麗だったとか斎藤一がシャブいだとか榎本さんの顔が良いって話もしたいのですが、またエントリーを分けてハイテンションでゆっくりと書きたいです。

最後に、これは作品本編とは関係ないのですが、カテコで的場さんが出る時、荒木さんが的場さんをすごい幸せそうな笑顔で見つめながら舞台のセンターまで見届けるの最高でした。あれは土方さんとして近藤さんを見てるのか、荒木さんとして的場さんを見てるのかどっちなんだろう。

 

死は好むべきものにあらず、亦悪むべきにもあらず。
道尽き安ずる、便ち是死所。
世に生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。
心死すれば生くるも益なし。魂存すれば亡ぶも損なきなり。
死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

それが、マホロバよ!

 

20171231



今年ももう終わる。
「この1年はどんな年でしたか?」なんて、有名人にならない限り聞かれることはないんだろうけど、もし聞かれるならば「出会いの年」って答えると思う。
大学で新しくゼミに入って先生やゼミ生に出会ったり、バイト先に来るお客さんとたわいない会話をしたり、美容院に通うようになって美容師さんと仲良くなったり、はてなブログのグループに参加して少しだけだけどTwitterでおしゃべりさせて貰ったり。ただただ人に恵まれてた。そりゃあ嫌な気持ちになることもたくさんあったけど、でも思い返すとみんな大好きだなーってところに落ち着く。みんな自分の人生を生きてて、そこに少しだけわたしの居場所も用意してくれてて存在を許してくれる。みーんな大好き。
人だけじゃなくて、色んな感情にも出会った。1人の俳優さんを好きになって、「モノクロだった世界が色付く」みたいな表現があるけれどそれって本当なんだなって分かった。人生たのしー!って思えた。いつの間にかぜんぶが知りたくなって、色々調べて、ネットの情報に惑わされたりもした。人生かなしー!死にてー!って思う時もあった。でも、わたしってこんなにも何かを好きになることができたんだって、こんなにも他人のことで喜怒哀楽できたんだって驚いた。このブログのタイトルの元ネタにもなってる桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」という本に、「好きって絶望だよね。」という台詞がある。何も混ざっていない研ぎ澄まされた「好き」っていう感情は、凶器にもなるし絶望をも引き連れてくるのかなと思う。まだそこまで純度の高い感情を持ったことはないけれど、ほんの少しだけ分かったような気がした。今は全然綺麗な感情じゃなくて、これ以上のめり込んでいいのか、離れるべきなのか、今の中途半端なままでいるべきなのかも分かんなくて。来年は就活なのに、自分の事じゃなくて他人のことばかり考えてる。うーーーん。どーしよ?まあなるようになるよね。なるようにしかならない。とりあえず、「趣味:観劇」はずっと続くと思う。好きな役者がいなくても、目の前に広がる非日常の世界はぜったいにわたしを元気にさせてくれるから。それに、この趣味を持って得られた感情や人との繋がりは、わたしにはいっとう大切なものに感じられるから。だいじにしていきたいなあ。

最後のほう少し話が逸れてしまった。2017年、実はもっと汚い感情とかたくさんあったんだけど、書かない。書かなかったらきっと来年読み返したときには忘れてるし、なかったことにできるから。綺麗な思い出として仕舞っておきたい、たいせつな2017年でした。おわり。

 

20171204

 

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久しぶりの更新です。もう12月か…。

舞台「関数ドミノ」を観た感想を書きたいと言い続けてたのですが、最後まで書ききる気力もなく下書きにあります。いつか上げたいなあ。

あと、「Jの総て」を読みました。中村明日美子さんの絵柄も世界観も大好きです。ほろほろ泣いた。

www.sukima.me

こちらのサイトで12月8日まで無料で読めるので是非。

 

この記事ではJの総ての宣伝がしたかっただけなので、もう目的は達成されました。

ここから書くことはただの日記です。駄文です。この先を読むよりJの総てを読む方が確実に有益です。よろしくお願いします。

 

 

憂鬱です(唐突)

卒論の研究内容を決めなきゃいけないのに、なかなかうまくいきません。まわりは結構決まってるから余計焦る。

それと最近はまわりがインターンに行き始めてて、真剣に自己分析とかもしてて、なんだかなあという気持ち。だからといって自分もインターンに行こうという気にはなれないし。

わたしはまわりの環境には恵まれてて、友人も良い子たちばかりです。なんだけどそれがストレスになってる。劣等感。罪悪感。偽って接しているつもりはないし、わたしはわたしのやりたいように自由に喋って動いてるのに、なんか周りの評価と自分が釣り合ってない気がして悲しい。悲しいというか、怖い?わたしはそんな高尚な人間じゃねーし面白くねーしただの気持ち悪いオタクで厨二病でクズなんだぜって叫びたい。いっそ幻滅してくれ。

〈外〉があるから〈内〉があるように、〈他者〉が存在しないと〈自己〉なんてものは存在できないのだみたいなことを書いている本があった気がする。自分っていうのは他者とか環境にかこまれて存在している。〈わたし〉という人物は、他者の見る〈わたし〉として世界に在るのであって、わたしの見る〈わたし〉は、わたしのなかでしか生きてないんだなって。でもわたしの世界においては、わたしの知る〈わたし〉しか存在してないわけで。他者から見たわたしとの差異が大きすぎると、しんどい。とか考えながらジョハリの窓を思い出したけど、ちょっと違うよね。わたしは他者が思っている〈わたし〉を受け入れることはできない。だって、そんなん自分じゃないもん。

なんか意味のわからない文章で申し訳ない(ここまで読んでる人いないか。)

 

とりあえず、生きてて申し訳ないなって思うことが多いので、反省文の提出先を指定して欲しいです。提出できたらきっと少しは楽になれるのになあ。

舞台に通う意味 推しを追う理由

 OFFICE SHIKA PRODUCE VOL.M「不届者」が幕を閉じた。タイトル通りの、不届き者たちの物語だった。テーマや構成自体はよくあるものではあるけれど、観た人の心に刺さる良い舞台であったように思う。このエントリーはきっと読みにくいと思うので、おすすめの記事を挙げておきます。

aooaao.hatenablog.com

(ブルーさんの書く文章が好きです。)

 

物語全体についての感想

 舞台は松岡充さんが一人で語るところから始まる。松岡さんが主演ということで、舞台鑑賞に慣れていないお客さんに注意事項とかを述べるのかなあと思ったけど違った。「これ、全部台本に書かれたセリフなんです。役者って怖いですよねえ。台本に書かれてさえいればすぐに嘘を吐ける。本人が本当にそう思っているように見えても全部お芝居なんですよ。」確かこんな感じのことを言い、物語は始まった。作中でも、主人公である梅本やそのライバルの秋広は、保険屋の角田が描く台本の通りに自らの復讐劇を進めていく。それが本来の自分の姿であるかのように。さすがは松岡さんという感じで、語りも歌もすごく惹きつけられた。(なんたって顔が良いからな。)

 「不届き」とは、一般に「行き届かないこと。道または法律にそむく行いをすること(広辞苑)」を言う。たしかにこの舞台は、人のあるべき道を外し法を犯す人たちの物語だった。しかしまた、大切な“何か”に届かずして死んだ「不届き者」の物語でもあった。上演台本に書かれていた本作の意図は、「なぜ人を殺してはいけないのか?現代において当たり前に定められている規範について、正しく明確に理解する者はいない。だからこそ誰もが規範を破り不届き者になる可能性がある」というものである。その規範に疑問を持たず、当たり前に現代社会を生きる私たちも、ふとした拍子に不届きを犯してしまうかもしれないのだ。本作で登場する不届き者は、軽薄で、愚かで、残虐である。しかし、あまりにも人間くさい。そんな人間が何人も登場し、死んでいく。穢れのない人は存在しない。仮に存在したとしても、私たちはそれを「無機質」だとか「ロボットのよう」だと表現するだろう。汚いからこそ「人間」であるのかなと、そう思った。

 台本を読んで、台詞が書き換えられている箇所を見つけた。最後の晩餐で、梅本が語るところ。台本では『俺、生まれ変わったら、人の幸せのために生きるって決めてんの。』 と書かれているが、舞台では『不幸を取り除くために生きる』と言っていた。この変更が意味するところ、それは「幸せ」にこだわる必要はないということを示しているのだと思う。今の世の中はハッピーになる方法を求めている。しかし、ハッピーでなければならないのか。幸せか不幸かの二択しかないのか。もちろんそんなことはなく、幸せでなくとも不幸でなければそれで十分なのではないだろうか。

 

登場人物(キャスト)についての感想

松岡充:梅本/新之助(吉宗)

 松岡さん、顔が良すぎた。そんな松岡さんの歌う歌は切実で迫力があった。梅本が役に呑まれていく様が、観ていてすごくドキドキしたし怖かった。特に星を殺した後に荒木さん演じる影山と笑い合う姿はなんとも不気味だった。わたしは影山を通して梅本を見ていたので、梅本については下で書きます。彼は“幸せに届かなかった者”だと考えました。

池田純矢:秋広/宗春

 こちらもまた顔が良い。池田さんの演技は初めて観たけれど、すごいな。なんでもできるんだな。秋広は純粋だと思った。親に捨てられ、愛する人も殺された彼は、“愛に届かなかった者”、かな。 

小沢道成:次雄/頼職

 1回目に観た時、女の人が演じていると思っていた。あとでパンフレットを読んでびっくりしました。確かによく見たら腕の筋肉すごかった。美しかった。

丸尾丸一郎:角田/家継

 丸尾さん、大千秋楽のカテコ挨拶で「どうしてこうなっちゃうんだろう」って涙を流してらっしゃって、いや、これ作ったんあんたやないかーいって思いました。この人は本当に人間を愛しているんだろうなあ。

 角田の台詞で、「保険屋を演じる役者です。」というものがあって、すぐに「嘘です。」と否定するんだけどどっちなんだろうか。もし演じていて、彼も復讐劇の主人公なのだとしたら復讐相手は人間全体なのだと思った。実際の丸尾さんと正反対の人間として作られたのかな。

荒木宏文:影山/左太夫

 先に言います。長いです。

 まずビジュアルですが、台本には「水商売風の男」と表現されていますが、あんな風貌の男は今どきのビジュアル系バンドマンにもなかなかいないでしょ。どうしてそうなった。

 役について。影山(左太夫)はどうしようもなく情けない、愚かで、惨めで、哀れな男だと思う。彼には主体性が感じられなかった。終始彼は友人を助ける相棒であった。しかしわたしは彼を愛おしいとさえ感じる。
 影山を見て、『死に至る病』を思い出した。キルケゴールは、「死に至らない病が希望に繋がる事に対して死に至る病は絶望である、また絶望とは自己の喪失である」と述べている。影山は周囲の人間から度々「死んだ魚の目をしている」と評されていた。しかしわたしの見た影山、つまり梅本と出会った後の影山の目は、わたしには死んだ魚の目には見えなかった。きっと梅本に出会う前は本当に絶望しかなく、死んでいたのであろう。しかし、梅本に出会って彼は過去の希望を持っていたときを思い出した。そしてまた、彼は梅本に対して希望を見るようになったのだ。ただ、これは本当の希望ではなかった。なぜなら、彼は希望を持つ梅本に自分の希望を譲渡してしまっているからである。これこそ自己の喪失である。影山は自分に対する希望など持っていなかった。ずっと最初から死に至る病に侵されていたのである。
 影山は歌がうまく才能のある梅本に憧れた。左太夫は藩主の息子である新之助(吉宗)に夢を見た。しかし、そんな梅本/新之助も「自分は何者にもなれないのか」と嘆き、結局不届き者に成り果て身を滅ぼした。なんて救われない世界なのだろうか。梅本に希望を託し汚れ役を買って出たのに、その梅本は右半身不随、希望なんかあるはずがない。それでも影山は梅本に付いていこうとする。自分一人では動けないから。梅本に執着するしかないから。なぜこんなにも影山は梅本に拘るのか、そんなに魅力がある人間なのかと不思議だった。しかし、影山が梅本に付いていくのは梅本が魅力的だからではなかった。梅本を否定してしまうと、それを信じてついて行っていた自分を否定することになるからだ。彼はどこまでも自分を守ることしか考えていなかった。

 (影山が梅本に執着している、と散々書いたが、梅本もまた影山に依存していた。梅本が行動を起こすときにはいつも影山がそばにいるし、ピンチになったときにはいつも影山の名を呼んでいた。物語の最後に、梅本を中心として死んだ者たちが一列に並び楽しそうに食事をする「最後の晩餐」のシーンがある。ここで影山は梅本の左隣にいる。これは原画においてはヨハネ(またはマグダラのマリア)と言われていて、中心にいるキリストの最も信頼していた人物と言われている。このふたりが再会しなければ誰も不届き者にならずに済んだのかもしれない)
 聖子に「ありがとう」と言って死んだ影山を見ると、やはりわたしは彼を愛したいと思う。彼は梅本に協力しただけで、何の悪意もなかったのだ。浅はかで愚鈍が故に全てが狂ってしまった。その結果を謝ってもそれを受け止める人はどこにもいない。初めて自分のしたことを自分の責任として背負い死んでいった。
 わたしは彼に自分を重ねているのだと思う。夢も希望もあるのか分からない舞台俳優に自分の希望を託している。もちろん彼はわたしにとって魅力的に見えている。しかし例えその人がどんな人であろうとも、明るい未来などないと分かっても、わたしは彼を応援する。彼に付いて行っていた自分自身を否定しないために。梅本に協力し振り回されている見えて自分を守るために生きた影山のように、わたしも自分のために彼に心酔したフリをする。そして自分を否定しないために自分と似て愚かな影山を肯定してしまうのかもしれない。

夢って、やっぱ必要なんすよ。(省略)もう三十こえた俺が言うのも恥ずかしいけど、幾つになっても、どんなに可能性が低くても、夢を目指すべきなんです。

 これを三十過ぎた舞台俳優に言わせるの、なかなかになかなかですよね。聞いていて苦しくなった。

 だから、“影山は夢に届かなかった者”であるのかな。

 

 以上が『不届者』を見て考えたことでした。わたしはこれからも、現実世界に疲れたら舞台の上にある虚構の世界を見て元気をもらうし、夢を持っている人を応援したいと思う。

 

推しの炎上から考えたこと

 

お久しぶりです。前回の記事を上げてからブログへのアクセスが4000view増えました。それまで総計で3000とかだったのに。愚痴垢さん効果すげえ。

 

わたしはというと、結局炎上前に取った10月の舞台のチケットは手放さずにいます。でも11月の舞台のチケットは取っていません。もともと取る気だったんですが、予定がうまくあわないので……今までだと無理やり予定こじ開けてたので、やっぱりそれほどの気力はなくなったのかなあという感じです。完全には諦めてないのでもしかしたら行くかもですが。

 

 

それで、炎上(ボヤ騒ぎ?)から約2ヶ月半、冷静になったり感情的になったりしながら色々なことを考えました。推し(Aさん)のことをよく知らなくても、推し事をされている人には読んでほしいなあと思って記事を書きます。(結局わたしはAさんを許してしまっているので、Aさんの炎上が許せない方には不快な気持ちにさせてしまうかもしれませんがご了承ください。)

 

クズバレの何がつらかったのか。

 

裏切られたという気持ちももちろんありました。でも、それは勝手にこっちが夢を見てしまっていただけなのでこっちにも責任があるのかなと思います。俳優の仕事は夢を見させるのではなく芝居をすることだと思ってるので、中の人間の性格にまで口出しするのはね、間違ってます(建前)でも夢を見させようと振る舞ったのはやはり俳優側なので責任取ってほしい(本音)クズバレが許せるか許せないか、俳優の仕事を芝居と捉えているかSNS等の営業も含めて捉えているかが関係するのだと思いました。

推しが実際にクズかどうかって、どうでもいいんですよ。シュレディンガーの猫と同じで、推しがクズかどうかは、箱を開けない限りは分からないのです。つまり、クズバレするまでは、推しがクズかそうでないかはフィフティーフィフティーの状態だということ。その50/50の状態のままであって欲しかった。なんで炎上にこんなにショックを受けたかって、50/50であることを忘れていたからだと考えています。クズであるという可能性が50%あったのに、それを考えないようにしていました。これはわたしのミスです。これからは忘れないようにします。

また今回の炎上では、箱を開けたのがAさん本人であるということが最も残念な点だと思っています。文春に撮られるとかの方が何倍もマシだと。(推しが文春にやられた方ごめんなさい) あとは炎上後の対応ですが、あんなに下手くそな対応をする人はなかなかいないですよね。Aさん、馬鹿すぎる。

 

 

しかし、いちばんつらかったことはそのことではありませんでした。

いちばんつらかったこと、それは推しが叩かれていることです。炎上してすぐは、もっと燃えろと思っていました。炎上のこと何も知らない茶の間がのんきにツイートしてるのを見てイライラしたりもしました。でも、Aさんのお芝居している姿を見て、もういっか、と思えました。炎上があっても、Aさんは変わらず素敵な演技を見せてくれたのです。Aさんがクズだとしても、Aさんの芝居はかっこいいのです。Aさんがクズだとしても、今までわたしがAさんを見て幸せを感じていたという過去は変えられません。Aさんがいたおかげで人生楽しいと思えていたことは、紛れもない事実として存在するのです。だからわたしはAさんに感謝してます。今まで楽しませてくれてありがとうございましたと。そうやってわたしは炎上を克服しようとしました。

それなのに、某掲示板やTwitterでは悪口が絶えない。つらすぎます。面白がって叩いている方は置いといて、クズバレを受けてファンからアンチに転向したという方がどれほどいるのか気になります。クズに騙されて喜んでいた自分が許せないという感じなのでしょうか…。その考えはわたしにはないので……。(自分の今までの行動を正当化したいから防衛機制が働いて推しを許そうとしているのかな、とは思いますが。)ブログやインタビューやアフタートークのことは言われても演技が下手とは(わたしが見る限りでは)言われていないのだけが救いです。実際に推しの演技が上手いのか、叩く方は推しの演技をあまり見たことがないのかは分かりませんが……。でも、だからこそ、演技以外のことばかりをずっと悪く言われるのが悲しいです。人間的にちょっと破綻していることも言葉選びが下手なことも空気が読めないことも認めます(認めます)。でも舞台上の役者としてのAさんはサイコーです。そこ、大事だと思います。

 

話が脱線しまくってますね。最初に冷静になったり感情的になったりして考えたと書きましたが、冷静になれていないのかもしれません。盲目信者は自分がそうであることに気付かないですから。

以上がわたしが炎上を受けて考えたことです。今まで自分の感情を残すためにブログを書いていたので、人に読んでもらうための文章は難しいです。読みにくくてすみません。

 

最後にひとつだけ。Aさんの顔が生理的に無理でなければ、舞台、見に来てください。最初は炎上の件がチラつくと思いますが、最後には忘れられていることを祈ります。